同業者と付き合うことは、成功要因の一つ
私は成功したければ同業者と付き合うべきだと常々話しています。
このことを否定しないまでも、なかなか理解してもらえない人がいるのも事実です。
成功哲学は、歴史上の人物からたくさん学ぶことが出来ます。
日清の創業者である故安藤百福氏は、波瀾万丈な人生を送りながらも、48歳でチキンラーメンを開発します。
しかし、漸くチキンラーメンが大ヒットしたと思ったら、
粗悪な類似品がたくさん出てきて、会社も商品も一気に評判が落ちていきました。
安藤氏は、粗悪品業社と戦いますが、商売で独り勝ちするためではなく、
世の中のためになるものを作りたいという理念を思い出し、
特許の公開を考え、現在の一般社団法人日本即席食品工業協会の発足を実現させます。
その結果、粗悪品業者を排除し、業界を良くすることに成功したのです。
次に、当時壽屋(現サントリー)の工場長であった故竹鶴政孝氏(ニッカの創業者)は、
ウィスキー造りの考え方の違いでサントリーの創業者である故鳥井信次郎氏と喧嘩が絶えなかったそうです。
結局竹鶴氏は本物のウィスキー造りを目指し、独立します。
この時の様子は、円満退職というだけで、詳しい記録は残っていないようですが、
あるドラマではその時のやり取りをこのように描いています。
鳥井氏は、竹鶴氏と粗悪品を作るウィスキー業社を排除し、業界を良くすることに成功するものの、
竹鶴氏がサントリーを退職するときに、鳥井氏が竹鶴氏にこう言います。
「日本人がウィスキーに馴染むまでにまだまだ時間がかかる。
日本人の味覚に合わせながら、ウィスキーを広め、お客の舌を育てなあかん。
そのためには2社3社とウィスキー作る会社が出てきて、
お互い凌ぎ合ってウィスキー事業を盛り上げていかんとな」
そういって、鳥井氏は竹鶴氏に独立資金の足りない分を、退職金として払います。
最後になりますが、1989年に、アメリカのある生命保険会社がリビングニーズ特約という画期的商品を開発しました。
医師から余命半年の宣告を受けると生きているうちに保険金が受け取れるというものです。
しかも保険料は無料。
日本でも同日本法人が日本での認可を取得しました。
まだ日本に進出して3年ほどで、都心部でもその会社を知っている人はほとんどいないくらいの小さな保険会社でした。
保険業界を良くしようと志した時の社長は、特許申請を進める幹部たちに、「全ての保険会社に取り扱ってもらって、世の中を良くしよう!」と言ったそうです。
成功するためには同業者と付き合うべきだと私は思います。
ただし、条件があります。
志の高い、優秀な同業者でなければいけません。
自分のしている仕事が世の中のためになっているという自覚があること。
自分の利益だけを考えていないこと。
利益だけを追求する人と付き合うと、粗悪な商品やサービスが増えていきます。
志のある人たちを増やしていくこと、そして会社が違えど、
そんな人たちと共に働いていくことが、自身の業界や会社、
そして自分自身のブランディングになるのではないでしょうか。