塾長のブログ

織田信長の死生観

 

毎日テレビはコロナのことばかりですね。

 

もうご覧になった方も多いかもしれませんが、

『コロナウィールスはロンドンオリンピックで予言されていた? – YouTube』を観ると、

2012年にコロナは予言されていた?

または、それより前から計画されていた?

 

ぞっとする動画です。

 

1964年に書かれた小松左京氏の小説『復活の日』(映画は1980年に公開)を思い出してしまいました。

 

 

コロナの影響は、色々な面でも出ているようで、例えば、外出自粛により死亡事故は大幅に減っているものの、公共交通機関に乗りたがらない人が増え、車に乗り慣れない人が車に乗るようになり、そのせいかどうかはわかりませんが、交通事故で命を落とす人もいるなどという話しも聞きます。

 

中国では、マスクによる熱中症で、体育の授業中に亡くなってしまったという報道は記憶に新しいですが、先日は自衛隊員が練習中にマスクをしていて心筋梗塞で亡くなったとか。

 

また、

コロナの影響で自殺者が増えるのでは?

とか、

高齢者の方の孤立死が増えるのでは?

とか…

 

これらの全てがコロナに起因しているかどうかはわかりません。

 

 

 

ただ、人はいつ何で死ぬのかわからないということです。

 

 

 

小説『君の膵臓を食べたい』では、余命宣告をされた女の子が、病気ではなく通り魔に刺されて死亡するという「死生観」を描いています。

 

 

本当に、人はいつ何で死ぬのかわかりません。

 

 

 

話しは変わりますが、いよいよ大河ドラマもコロナの影響で、休止となりました。

とても、残念ですが、仕方がないですね…

 

その大河ドラマ『麒麟がくる』から「死生観」について考えてみます。

 

休止前の最後の舞台は「桶狭間の戦い」

 

「桶狭間の戦い」は、織田信長を世に知らしめた有名な戦さです。今川義元の大軍に勝つために、信長が一か八かの勝負を掛けます。

この作戦に心配する妻の胡蝶(のちの濃姫)に信長はこう言います。

 

「死のうは一定(いちじょう)という。いずれ人は死ぬ。」

 

どういう意味か調べてみました。

 

人は、いつかは死ぬもので、死ぬことを恐れるより、今をどう生きるかが大事だ。

 

ということだそうです。

 

 

信長が本能寺で光秀の謀反と知ったときに「是非に及ばず」と言ったそうで、それが真実かどうかわかりませんが、「是非に及ばず」とは、ジタバタしても仕方がない。という意味です。

 

 

これが織田信長の死生観と言われています。

 

 

人はいつ何で死ぬのかわかりません。

 

 

人は、いつかは死ぬので、「万が一死ぬ」という日本語はおかしいのですよね。

しかし、「万が一、明日死ぬ」という日本語は正しいと私は思っています。

 

死の理由が、コロナなのか、別の病気なのか、事故なのか、災害なのか…

 

誰にもわかりません。

 

死ぬのが、明日なのか、来週なのか、来月なのか、何十年も先なのか…

 

誰にもわかりません。

 

 

だからこそ、今何をすべきかを考えることが大切な気がします。

 

 

後悔のない人生を送りたいですね。

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