恋人はアンドロイド
愛されることと、愛することと、どちらが難しいでしょうか?
そんな問いかけに、AIアンドロイドが解決してくれるかもしれません。
数年前になりますが、シャオアイスという女性が約2,000万回の愛の告白を受けたと、新聞記事に載っていました。この女性、何と米マイクロソフト社中国拠点が開発したAIなのです。
このAIは、人間が喜ぶ言葉や話し方などの知識とスキルを徹底的に身に付けたそうなのですが、告白した男性たちの多くは、本物の人間より、「励まされる」「癒される」「悩みを吹き飛ばしてくれる」とのことでした。
愛されることは、機械に頼ればとても簡単なことなのかもしれません。
さて、先日、「アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド」というドイツ映画を観てきました。この映画はとても哲学的に考えさせられてしまいました。
少々ネタバレになってしまいますが、
主人公のアルマは仕事の資金を稼ぐため、「AIアンドロイドが人間と恋をするのかどうか」というある企業の極秘実験に参加します。
3週間の実験期間内にアルマを幸せにするというミッションを課せられたAIアンドロイドのトムは、ビッグデータをもとにアロマを口説こうとします。アロマは居心地の悪さを感じつつも、次第に彼女の心を癒やし始めるトムに気持ちも奪われ始めます。
しかし、アロマは人間が機械と結婚することはあり得ないと反対します。
なぜならば、人間同士のコミュニケーションがなくなってしまう。
人間は機械に癒されることで、成長という努力から逃げてしまう。
そんなところでしょうか。
配偶者やパートナーなどのほんのちょっとした欠点でイライラしてしまうことなどは、完璧に接してもらいたい…そんな自己中心的な心理なのかもしれません。
相手にどうしてもらいたいかというよりも、相手にどうしてあげたいかという考え方の方が成長するのかもしれません。
人は他人から傷つけられて成長していきます。
子どもの頃に「尊厳」を傷つけられずに育った人は、大人になってからワガママになり、他人とのコミュニケーションが取れなくなるそうです。
生き方は人それぞれですから、何が正しいはわかりません。
しかし、人間は完璧でないから愛嬌があり、他者から好かれるのだと思います。
しかし、自分の駄目なところを受け入れず、完璧を演じようとすれば、それは愛嬌ではなく滑稽です。
誰もが幾つになっても未熟です。
人を傷つけ、そして人から傷つけられて成長していく。
そのことを受け入れられる人が他者から魅力ある人間に見られるのかもしれません。
セールスという仕事においても同じです。
嫌われることを恐れている人は、いつまでも経っても成長せずに、未来機械に頼ることしか出来ず、機械に使われる人間になると言われてもいます。
未来機械を使う人間になれる人は、スピードと正確性をもって、かつ自分の個性で勝負出来るので、今までの変わらず顧客に支持され、変わらず成果を挙げていくでしょう。
自分が完璧に成る必要はないのだと思います。
私自身も、今の未熟さを認めて、死ぬまで成長し続けていきたいと思います。