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秀吉のヘッドハンティングから学ぶパートナー選び

木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)は竹中半兵衛を織田上総介信長に仕えさせるために、

敵国の美濃まで武器も持たずに乗り込みました。

本気の「ヘッドハンティング」です。

 

 

藤吉郎が、半兵衛を口説き落とす時のやり取りを、司馬遼太郎氏は「新史 太閤記」でこのように表現しています。

 

(以下、抜粋)

半兵衛は、ここで態度をはっきりとしておかなければならない。

「私は上総介殿をきらっている。足下は上総介殿が士を愛するといわれるが、あの態度は愛するというより士を使っているだけのことだ」

「これはしたり、貴殿ほどのお人の言葉とも思えませぬ。愛するとは使われることではござらぬか」

(なるほど)

半兵衛は鮮やかな衝撃を受けた。なるほどそうであろう。士が愛されるということは、寵童(ちょうどう)のような情愛を受けたり、嬖臣(へいしん)のように酒色の座に同席させられるといことではあるまい。自分の能力や誠実を認められることであろう

「抜粋『新史 太閤記(上巻) 司馬遼太郎」

 

 

私はこの一節に共感しています。

 

顧客に恵まれない。

パートナーに恵まれない。

と少しでもお悩みの方は、この一節を何度も読んでみていただきたい。

 

「人を利用する」という言葉を忌み嫌う人がいますが、それは一方通行に人を利用するからなのだと私は思います。

 

自分の「能力」「誠実」を認めてもらい、相手の「能力」「誠実」を認めることが出来れば、「一方的な利用」をされることはないのです。

 

 

信頼され、利用されるに値する人間かどうか?

そのために自分の能力や誠実を磨き上げる努力をし続けているかどうか?

 

そして、私自身を利用したいと思ってくれる人がいて、その人たちを利用するだけの器量が私自身にはあるかどうか?

 

何歳になっても努力は必要です。

 

それらの努力を怠り、帰属欲求だけを強く思うと、使い捨てのように利用されてしまうかもしれません。

 

帰属欲求すらなければ、使い捨ての利用以前に、利用されることすらないかもしれません。

 

 

「お互いが信頼のもと利用し合う関係」であれば、決して悪いことではないと思います。

 

 

人は一人では生きていけません。

 

それぞれの能力を生かしていくからこそ、更なる成果を上げられるのだと思います。

 

どんなに成果を上げている人でも、次のステージを目指し、質の高い顧客や取引先といったパートナーに選ばれるためには「利用しあえる関係」を作り上げる努力が必要なのだと思います。

 

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