劣等感の活かし方

「障がい者と健常者との境界線は本来ないはずである。もし、誰かのサポートを受けられない人を障がい者というのならば、世の中の人は全て障がい者となってしまう。なぜならば、人は誰もが一人では生きていけないから。」

これは、私が障がい児施設のボランティアを2年ほどしていたころに、とても尊敬に値するドクターから学んだことの一つです。

人は誰かのサポートなくして、一人では生きてはいけません。しかし、意思決定と意思表示は一人でしか出来ません。それを自立というのだと思います。

 

 

最近観た「5%の奇跡 嘘から始まる素敵な人生」という映画は、久しぶりに感動しました。95%の視力を失いながら「5つ星ホテルで働きたい」という夢のために目が見えると嘘をついてホテルの研修生になり、目が見えないことを隠しながら、ホテルマンとしてのあらゆる研修と卒業試験をしていく話です。

この映画はまさに、自分自身の意思決定と意思表示がなければ、人の力があっても成功できないことを教えてくれます。

 

 

また、日本の海軍軍人で連合艦隊司令長官だった山本五十六は、今の時代も、多くの日本人に人格者として影響を与えてくれます。

その彼は、左手の指二本と右腿を永遠に失われた体でありながら、「人はだれでも何かの負い目がある。その負い目を克服しようとするところに、人間の進歩がある。」と言ったそうです。

山本五十六について、長男の義正さんはこう述べています。

「負傷後の父は、自分は祖国のために立派に戦って傷ついた軍人であるという誇りと、しかしそのためにハンデを背負ってしまったという肉体的なひけ目とを、合わせて持つようになった。指が二本足りない左手は、父にとって誇りと劣等感とを同時に意識させる傷痕なのであった。」

父  本五十六 ~山本義正著~ 朝日文庫出版より抜粋

 

 

私は医学的な肉体的ハンデはありません。しかし、背が低いので、高いところに荷物を取ったりするのに、人の力や脚立が必要です。もちろん、肉体的なことだけでなく、集中力や記憶力、また精神力なども含めて、人より劣っていることを認めなければいけません。

だから私は自分のコンプレックスを大切にしています。もちろんコンプレックスを認めることはあまり気持ちのいいものではありません。しかし認めなければ、努力は始まりません。

なかなか簡単には成果は出るものではありませんが、ほんの少しづつ進化はしているようです。

 

だから、ずっと頑張れるのだと思います。

 

 

今週もよろしくお願いいたします。

 

 

塾長のつぶやき一覧